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ヌエネン時代の大作「じゃがいもを食べる人々」を仕上げるための習作の一枚。ゴッホ初めての構成画を制作するために数多くの農夫の肖像画を描いた。この作品と同じように白い帽子(バンダナ)を巻いて座る農婦の人物画はこのヌエネン時代の特徴である。
サン=レミで療養中の冬の一作。ゴッホはしばらく発作が起きず外出しての制作を許可され、近隣の道を描いたものと推測される。中央に歩いているのは女性であろうか、日常のひとコマを切り取っている。左の木はゴッホがサン=レミで主題にした一つ「オリーブの木」である。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」とは当時フランス・パリのモンマルトルで流行した風車が目印のダンスホール。同名のルノワールの絵画が有名である。ゴッホはパリで弟テオと同居、最新の絵画技法の影響を受けた。この作品はパリに来て間もない頃、色調は明るくはなったがまだどこか垢抜けていない印象を受ける。
ゴッホはパリに住んでいるとき一番静物をモティーフとして選んだ。本作はその一つで「ニシン」と「ニンニク」がモティーフである。自宅で描かれたものか机のようなものが見える。遠近感があまり感じないことから平坦な日本趣味のような描き方(クロワソニスム)を模倣しているのだろうか。
おそらく日本でもっとも有名なゴッホの絵画。1987年に58億円という高額で落札されたことで話題になった。誤解されている方も多いが、このタイプの「ひまわり」は5点制作されている。この作品は元々ゴッホが満足した「ひまわり」を模写した作品である。詳細は代表作「ひまわり」は複数あった!をご覧ください。
アルルを離れ、サン=レミの療養院に行く直前の一作。バラの薄いピンク色と草木の深い緑色の対比が美しい。ゴッホ独特の絵の具を塗り重ねた厚塗りに草木に「うねり」の筆触があらわれはじめているのがわかる。
周期的に発作が起きるようになったゴッホがサン=レミの療養院で入院しているときの一作。ゴッホが尊敬する画家ミレーの絵を模写したものである。ミレー模写作品はパリ以前に多いが、発作後の外出禁止時に院内で描いたものだろう。パリ以前の模写と比較してゴッホの力強い筆触が見られる。
ゴッホの初期時代の一作。ハーグでハーグ派の画家で伯父のアントン・マウフェから指導を受けていたときの作品と思われる。この頃のゴッホは農夫や田園風景を写実的に描いていた。特にバルビゾン派のミレーを敬愛し多くの模写を行った。農夫が主題の作品はこの時代に多く見られる。
ゴッホ最晩年の作品。ドービニーとはバルビゾン派の画家で本人は亡くなっているが妻はオーヴェルに住んでいた。筆者が日本にあるのが奇跡とも言える作品である。紆余曲折ありひろしま美術館が購入した。もともとスイスのバーゼル美術館の「ドービニーの庭」を本人が模写したものである。▼2作の「ドービニーの庭」の比較
ゴッホ.jp管理人 Yoshiki.T
ゴッホの筆致に魅力され独学で研究。大阪でデザイン事務所を経営する傍ら、ゴッホが関連する企画展は日本中必ず観に行く。国内のゴッホ研究の第一人者大阪大学教授圀府寺 司教授を尊敬している。おすすめはひろしま美術館の「ドービニーの庭」